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コンピュータ内部の作業

SHIBAYAMA
WORKS

Produced in 2022

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自己紹介

初めまして。柴山信廣と申します。 以前、広告代理店にてクリエイターとして勤務。1990年から下の写真でお見せしているように企業のコミュニケーションデザインを直接手がけていく会社を営み、広告・Web・ARTを製作してきました。現在はもうすぐ66歳で体の調子が良くなく箱根の江戸後期の岩手の古民家でリハビリを続けています。

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左上が2015年の油絵で、真ん中より上三つが3DCGで1994年に制作しました。

下の左はカメラの会社で個人展覧会を開いてくれた所。右下はいやはや1992年の腕時計の3D。もう30年も前か。

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~01・私と古民家~  

1995年から古民家に興味を持ち、大窪大工から気仙大工まで見始めました。古民家が好きになってしまいました。古民家を探そうと思ったのは、鎌倉にあるJAZZが流れる喫茶店に行ったことから始まりました。

 

古木の空間に何だか懐かしさと、優しさを感じ心が癒されたのでした。見渡すと古木がうまくアレンジされて空間のアクセントになった古民家喫茶店でした。結局長居をしたわけですが古木を使い古民家の暖かさを感じる空間が目に入ってきました。

 

そしてあるとき、 古民家を改造した美術商を訪れたのがインパクトを僕に与えました。一階の大きな窓が横ではなく縦に開いたのでした。まるでベンツのガルウィングドアのようでした。これらが切っ掛けで家を作るなら古民家を基本に空間をリノベしたような家に住みたいと考えたわけです。 そうやって1995年後半から母体となる古民家を探す旅をはじめました。

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~02・古民家を見つける~  

古い民家と捜し1995年の辺りから、仕事の合間に50件ぐらいの古民家を見たでしょうか。最初は関東寄りで、そのうちに東北に行きました。そこで分かったことは、北に行けば行くほど古民家に使ってある柱や梁の木が太いのです。その古木は荘厳でした。

 

しかし、私のような想いを持った人間が、古民家を見たいと連絡を入れ訪問することに、持ち主たちは怪しい感情を抱き話が進まないのです。そのような状況で困っていたのですが、ある日、古民家を譲っている小雑誌があることを知り、そのなかの情報から、仙台のコーディネータを紹介してもらい、譲っても良い古民家を何軒か見せてもらいました。  

 

東北地方の気仙大工が江戸後期に作った約180年前後の貴重な古民家を発見しました。そして2000年、ついに今の気仙大工の古民家を譲り分けてもらいました。これは田畑を先祖代々大切に守ってきたところなのです。古民家をどうにか残したいと思い、譲ってもらう事が出来まして建築関連と神奈川県の箱根に移築竣工ができました。よし皆んなと楽しもうと思っていました。

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最初2枚は岩手の現地で起こしたこの古民家の気仙大工が手がけた家を図面に起こした物。

後半3枚は箱根を見ている東京の事務所が地盤調査/設計図/構造計算/現場監督をする。

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~03・建築での苦労~

古民家の準備は整ったのですが、もう一つの課題として土地の選定が必要でした。2000年に私達の希望は箱根だったので、箱根に多く足を運びたくさんの候補地を見学しました。そして、古民家を見つけた時期と同じタイミングで奇跡的に箱根の土地も見つかりました。

 

建築家の意見を聞いた上での購入でした。箱根神社の湖に建つ鳥居、富士山を眺める、芦ノ湖を望む、この場所に古民家を移築することを2000年後半に決めました。本当に奇跡的でした。

 

移築を決断した時の気持ちとして、まだまだ若輩者であったため、家を一軒建てた事もありませんでした。当然、施主としての経験もありませんでした。でもそんな若い時期だからこそ、エネルギーを持ってこういう挑戦が出来る時と、私達は古民家の移築を決意しました。 ところが、その竣工時から色々と問題が起き始めました。当時私は48歳でした。

 

2003年建築が始まった当時と竣工の2004年、東京と箱根の地を行き来して生活をしていました。この大きな古民家を抱えてです。施工が進む家に問題があるとはっきりと気がついたのは2007年でした。一緒に建築を進めた有名な設計者と建築チームいたのですが、竣工当時の最初の頃、山に埋め込んだような形の移築だからコンクリは直ぐには乾かないといわれました。

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だいぶ妻も僕も大事な若い日の歳をとてしまった。

なんと2007年から2018年秋そして2019年の12年間やっとこの瞬間を迎えました。

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2019年、GL(グランド・ライン)に新たなコンクリート土台をつくる。

そして下の様な気仙大工の歴史を作った。

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この古民家の改善改修をしっかりと解決するために2007年から2019年、63歳まで費やし、実に12年間も続いたのです。 その悪夢のような12年間を私は「物事は3日3週間3ヶ月と言うけれど、この素晴らしい宝石箱のような『家』を岩手から、苦労して持って来たんだ。皆んなに残して見てもらおうよ。」という気持ちで一杯でした。しかし、この時点で人生としての大事な時間を使ってしまいました。でも2019年古民家は治ったんだ。良かった。これからだ。

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この様に民家はそこに住んでいる人間の願い、生活感を反映したもので、生きると言う真実のやむに止まれぬ表現だったのでしょう。昔の木という物は戦争で焼け野原になる前はしっかりとした、巨大な柱で胡桃や樫の日本の大木をかなめ要に使って民家を建てていました。それらを残して行こうと思います。

ところで天気予報はスマホでも当たりません。標高が高い箱根町 箱根も大雪がちょくちょく降ります。町道と接続しているので除雪作業をしてくれます。箱根駅伝の時は助かります。

 

★上記「文化価値を認めたいと思っています」について、補足をお願いいたします。(本プロジェクトを通じて、どんなことを伝えたいのか/190年以前の希少な建築を守っていくことの重要性など等)

元の持ち主のお祖父様が言ってましたが、譲り受ける時に170年位前だから今年では190年も前です。ですから江戸後期になります。江戸時代はいい時代だなんて最近は良く聞くのです。そんな平和な時にあった古民家が箱根にやって来ていました。

 

しかし残念なことに東日本大震災で岩手県陸前高田にある気仙大工の家は多くを失いました。この古民家は気仙大工が幕末から明治につくった貴重な家屋の一つで今回の私の行動で移築再生していますので、一つ守り抜いたことになったらと思います。それが箱根にあるのです。

「気仙大工」とは

 

 

★「気仙大工」の魅力や特徴をご紹介ください。

気仙大工の古民家は岩手県気仙郡地方(仙台藩)に古来より優秀な技術をもつ大工集団です。江戸時代から稼ぐ為に大工集団を形成して神社仏閣、細工、そして民家をこなす多様な集団で職能は多岐に渡り大工はもちろん彫り物師や絵描までいたそうです。

 

また断崖絶壁に近い地方に住んでいた為、普段は畑などを耕していて、しかし大工になるのは早かったようです。特に明治以降は東北本線の開通により関東地方、遠く大陸の家屋まで手掛けました。また銀座の歌舞伎座もそうです。大阪城天守閣の復元などでも活躍しました。

 

 

★「箱根古民家」の魅力や特徴も是非ご紹介ください。

岩手県の古民家を真の「箱根町箱根」に移築してZEKKEIと名付けました。最近、柱や梁を磨いてみて、全く劣化する事なく力強さは健在でした。江戸時代には釘を使わなくても民家やお寺や橋や神社は建っていて、そのいわゆる古い建物はこれからも残り続けるでしょう。

 

私は東京で生まれました。ですから和の心を形にした故郷という原風景に憧れます。それは私たちの日本人の生活と気持ちのバランスを回復させる力があると思います。当時の伝統技術を保つ建築物を進化させ残し皆んなに見てもらい味わって貰いたいなと思います。これは歌舞伎という古典が新たに解釈され「スーパ歌舞伎」と誰にも受け入れやすく古典が再構成されるようにと考えたからです。

 

気仙大工のムカシの伝統技術を後世に継承し、ミライの技術を共に一緒に発展出来たらと思います。

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